四天王寺から神戸に至る (1)

 ある秋の日、関西に遊んだ。恐らく、ここに書かない(書けない)話がいちばんおもしろいのだろうけれど、いろいろ差し障りがあるからそれは割愛する。オフラインで会える人には話すこともあるだろう。(というか、既にいろいろな人に話してしまったことだけれど)

 それはさておき、ここでは大阪の四天王寺と神戸の異人館の話を書きたいと思う。この時は急に予定を決めたにもかかわらず、在阪の友人Hさんに都合をつけていただき、梅田で軽く昼食をとったが、その前か後の数時間をつぶすために、どこかを見ておこうという軽い気持ちから候補地を探し、梅田から近い場所にある茶臼山古墳と四天王寺の宝物館で開催中だった憲法十七条制定1400年記念の特別展を見ることにした。しかし、いろいろな都合から茶臼山古墳には行けなかった。四天王寺の宝物館には行くことができた。

 聖徳太子といえば、きっと法隆寺の方が有名なのだろうけれど、四天王寺も聖徳太子ゆかりのお寺で、その歴史はとても古い。四天王寺のホームページには「日本仏法最初の大寺」とあるけれど、これは日本最初のお寺という意味ではなく(文献で知られる限りの日本最古のお寺は飛鳥寺豊浦(とゆら)寺)、日本最初の「官寺」という意味だ。創建は593年だから、遣隋使の派遣よりもさらに前の時代ということになる。お寺なのに鳥居があったので驚いたが、1294年に建てられた石造りの鳥居で、鳥居として現存しているものとしては日本最古のものだそうだ。この鳥居の上には「釈迦如来 転法輪処 当極楽土 東門中心」という言葉の書かれた額縁があった。「ここはお釈迦様が仏法を説かれるところで、極楽の東門の中心」というような意味とのこと。この額縁はレプリカで、オリジナル(とされるもの)は宝物館にあった。ただ、オリジナルとされるものにしても、前の時代のレプリカということも考えられるから、何をもってオリジナルと呼ぶのかは…。確か、「聖徳太子の筆によると言われる」とどこかで見たように思うのだけれど、どこで見た記述だったか思い出せない。この額縁は衆生の願いをすくいとる際にそれを余すところなく漏らさないためにチリトリの形をしていると四天王寺のホームページにはあるけれど、そう言われてみれば、鳥居の下で実物を見上げながら、「どうして一辺が欠けているのだろう」と不思議に思ったことを思い出す。「古いものだから、金属疲労か腐食で脱落したのかな」とさえ思ったのが、わざとああいう形になっていたとは恐れ入谷の鬼子母神(いや、難波の四天王寺だった^^)


四天王寺 鳥居(奥に見えるのは極楽門)


鳥居の上の額縁 (チリトリの形)

(つづく)

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四天王寺から神戸に至る (1)
四天王寺から神戸に至る (2)- 転法輪
四天王寺から神戸に至る (3) - 仁王像
四天王寺から神戸に至る (4) - 石棺の蓋
石棺の蓋 : 補足
四天王寺から神戸に至る (5) - 太子の御衣
四天王寺から神戸に至る (6) - 極楽浄土の庭
四天王寺から神戸に至る (7) - 異人館をめぐる

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