2005年11月 ポリーニ・プロジェクト II ノーノ、ノーノ、ノーノ…

●11/1(火) 東京オペラシティ コンサートホール
マウリツィオ・ポリーニ ノーノを語る
~ シンポジウムと上映会 ~

●11/3(木) 東京オペラシティ コンサートホール
ポリーニ・プロジェクト II

ノーノ / 森は若々しく生命に満ちている (1965-1966)
(ソプラノと3人の役者、クラリネット、金属板、テープのための)ほか
(演奏曲目)

●11/9(水) サントリーホール
マウリツィオ・ポリーニ ピアノ・リサイタル
(オール・ショパン)
(演奏曲目)

 2002年に行われた「ポリーニ・プロジェクト 2002 in Tokyo」に続く企画。2002年の「ポリーニ・プロジェクト」は9日間にわたる演奏会(ポリーニのリサイタルを含む)に加え、2回の講演会、ブーレーズ指揮の公開ゲネプロなど盛りだくさんの内容、長丁場にわたる一種の「音楽祭」だったが、2005年の「II」では演奏会はわずか1日限り。にもかかわらず、私の中の「II」の印象は強烈だ。

 公演の2日前の11月1日、オペラシティでシンポジウムが行われた(入場無料)。前半はノーノに関する対談、後半はノーノ/アバド/ポリーニの交流を追ったドキュメンタリー・ビデオ「海の軌跡」の上映。開場前にホールに到着、そんなに遅い時間に出かけたわけでもないのに、オペラシティ内には開場を待つ人の長蛇の列ができていて(なんとホール棟の隣の棟の廊下まで…)、20世紀音楽の企画にもかかわらず熱心なファンが多いのだなあと驚いた。

 ベトナム戦争を題材にしたノーノの「森は若々しく生命に満ちている」を、今、東京でわざわざ取り上げる意図は何なのだろう…と考えた人は少なくなかったと思う。ポリーニ自身は政治的な意図はない、作品としてすぐれているから取り上げるのだ、というようなことを繰り返し語っていた。

 11月3日に行われた公演には「覚悟」して出かけたが、やはり終わってみれば陰惨で鬱々とした気持ちになって帰途につくこととなった。ノーノの「森は若々しく生命に満ちている」は戦争の悲惨さを訴えていたが、それ以上に、生きているのがいやになるような破壊的(?)ペシミズムに頭をガツンと殴られたような気がした。芸術作品としての迫力はすさまじいし、あれ以上にグロテスクな音楽は聴いたことがない。音楽的な「破壊」と「創造」が紙一重のギリギリのところで背中合わせに存在しているように思えた。何かに、そして、どこかに、あそこまで追い詰められたような作品を書かざるをえなかった当時の作曲者の心理はどんなものだったのだろう、時代の空気はどんなものだったのだろうと改めて考えてしまった。ホールを出る時に偶然ご一緒した某氏と「この時期に東京にこの作品を持ってくるというのは、やはりポリーニは(世界各地でテロが勃発し、アメリカがアフガンやイラクへ侵攻するような)今の時代の雰囲気や空気に危機感を抱き、何かしなければという気持ちがあるからなのでしょうね」などという話をしたことが思い出される。