林峰男 デビュー30年(1) オール・ショスタコーヴィチ(地震たいへん)

●7/23(土) 津田ホール
ショスタコーヴィチ没後30年×林峰男デビュー30年
「林峰男のショスタコ!」

(チェロ)林峰男
(ヴァイオリン)加藤知子
(ピアノ)伊藤恵

(予定より20分遅れて開演)

ショスタコーヴィチ / ピアノ三重奏曲 第1番 ハ短調 op.8
ショスタコーヴィチ / チェロ・ソナタ ニ短調 op.40
(休憩)
ショスタコーヴィチ / ピアノ三重奏曲 第2番 ホ短調 op.67

(アンコール)
ショスタコーヴィチ / ピアノ三重奏曲 第1番 ハ短調 op.8


 日本を代表する名チェリストの林峰男さんのデビュー30周年を記念する公演。19日に名古屋で同一プログラムによる公演があり、それに続く東京公演だった。

 さて、この演奏会、本当にたいへんなことになってしまった。夜7時からの開演に先立つ2時間半ほど前、千葉県北西部を震源とする強い地震が発生、都内でも震度5強が観測された。

 [気象庁報道資料

 この地震によって都心の交通はマヒ状態となり大混乱となった。夕方のニュースを見て驚いた大阪在住の友人から「大丈夫か」とメールで問い合わせがあったほどなのだけれど、実際、「大丈夫」どころの騒ぎではなかった。

 この公演は自由席だったし、この日は土曜で、幸い、昼間はこれといって用事もなかったから、私は思いきり早めに家を出て、時間があればどこぞでぶらぶら~などというつもりで出かけた。家を出る前に地震のニュースをテレビやネットで確認したが、大事になっているふうでもなかった。だから、その時点ではあまりあれこれ余計なことを考えていなかった。

 最寄駅に着いた時にも、多少、人が改札に群がってはいたけれど、騒ぎになっている様子もなく、事故ほか不測の事態の時なら出ているはずの告知板もないようだし、「なんださっきの地震はどうということもなかったのだな」などと早合点しながら、プラットホームに出た。当然のようにウォークマンを聴きながら、本か何かを読みながら電車を待っていたのだが、待てど暮らせど電車は来ない。さすがに「おかしいな」と気がつき、ウォークマンを止めたら、電車が止まっている旨のアナウンスが耳に入った。細かい話は省くが、要するに「接続先の路線の鉄道会社の点検が終わらず、その関係で乗り換え駅から先の電車が全部止まっている。うちの会社は点検が終わっているから、いつでも動けるが、そんなわけでどうにもならない」云々。

 いくらなんでも30分も待てば動くだろうと思っていたが、読みが甘かった。さらにもう10分か15分ほど待っただろうか。だが、どうもいけない。このままでは開演に間に合わない。この公演、人に頼んでチケットを手配してもらっていた上、会場で友人と待ち合わせをしていたこともあり、間に合わないとか行けなかったということになった場合、あれこれの人に不義理を働くことになる。幸いなことにその日はいつもと違い、かなり早い時間に家を出ていたので、まだ時間に余裕があった。そこで、もはやこれまでと電車に見切りをつけ、駅の外に出てタクシーをつかまえた。

 後でいろいろな人にきいたところでは、電車が止まって身動きできなかった人たちの誰もが「じゃあ、タクシーで」と思ったそうだけれど、地震発生からだいぶ時間がたった頃、誰もが同じことを考えてタクシーをつかまえようとした結果、都心近くでは頼みのタクシーがつかまらず往生したとのこと。私は幸運なことに、地元の道は皆目わからないが、原宿近くの抜け道ならよくわかるという運転手さんに行き当たり、ともかくも、明治通りに抜ける辺りまでは私が抜け道をあれこれ教え、そこから先は運転手さんの知っている抜け道で、大渋滞の都心を千駄ヶ谷までたどり着くことができた。

 とはいえ、大渋滞をかいくぐり、タクシーに乗ること、なんと1時間。ようやく千駄ヶ谷駅が見えた頃には予定されていた開演時間を迎えてしまった。けれど、見れば、千駄ヶ谷駅そのものがJRが止まったことで大混乱していた。おびただしいほどの群集が駅前で電車が動くのを待っている様子だった。千駄ヶ谷から出ることができない人があれだけいるのだから、反対に、新宿や東京方面から千駄ヶ谷にたどり着けない人も大勢いるに違いない。そこでこの公演、開演予定時間に演奏会をはじめることはないだろうと気がつき、焦る気持ちも消えた。

 渋滞のために駅前(といっても、そこが既に津田ホールの前)から動くのも容易ではなかったので、そこで車を降り、ホールの入り口まで駆けて行き、エレベータに乗った。同乗してきた見ず知らずの男女が笑いながら「ああ、間に合った」と言い合い、さらに私の顔を見て、「今日はたいへんでしたね」と言った。「本当に」とかなんとか適当にこたえて、エレベーターから降りると、ホールのロビーが見えた。既に開演時間を数分過ぎていたけれど、人々が三々五々のんびりくつろいでいる様子が見てとれ、まだ開演していないことがわかった。

 やれやれと思いつつも、大森で足止めをくらってしまった友人はどうなったかと電話をかけるために電波のよく入りそうな窓際に移動したら、窓際のソファでくつろいで談笑している人たちを発見。目が点になった。ホールというホールで必ずといっていいくらいお会いするA氏(私は人にこの人を紹介する時、「サントリーホールに棲んでいる人です」と言うことにしている)と、どことはっきりは言えないけれど、飛行機に乗らないと行けないほど遠方に住んでいるB氏の2人が仲良く談笑しているではないか。

 B氏に「いつ来た? 羽田に降りられた?」と思わず真顔でたずねてしまったが、きいてみれば何のことはない、前日のうちにこちらの実家に戻って、今日は1日買い物で都心をぶらぶらしていたので、地震の時もホールからそう遠くないところにいた云々。A氏にしても、私がその時間に自宅からたどり着いたことに驚いていたようで、「みんな、なんとしてもたどり着くねえ」と妙に感心した物言い。いや、それはこちらの台詞。

 それはさておき、既に開演時間を10分近く過ぎていたその頃になってもホール内にお客さんの姿はほとんどなく、「こんなことで開演できるのだろうか」と心配になってしまうほどだった。テレビ収録があることは事前にNHKのホームページの放送予定のところで見て知っていたのだけれど、せっかくカメラが入っていても、お客さんが入らなかったらどうなるのだろう、開演するのかなあ…などなど考えながらも、とにかく、たどり着くだけで精神的にすっかりくたびれてしまい、ホールの適当なところに席を取ると、あとはぐったりと座り込んでしまった。コンサート会場にたどり着くだけでこんなに気持ちが疲れてしまったのは、地下鉄サリン事件で地下鉄が止まっている最中、サントリーホール@N響に出かけた、1995年3月20日以来のことだ。

 やがて「20分遅れで開演予定」の場内アナウンスがあった。そうして7時20分には開演したのだけれど、その時点でも客席はガラガラだった。林さんのデビュー記念公演だから、そもそもガラガラのはずがなく、きっと本来だったらホールは満席に近かったはずだと思った。チケットを持っていたお客さんの多くが、どこかで足止めされてしまって、イライラしながらタクシーや電車を待っているか、あるいは「間に合わない!」と焦りながら、どこかを息せき切って歩いたり走ったりしているのだろうかと思うとなんともいえない気持ちになった。天災は本当に侮れない。

 私の友人にしても、結果的には前半には間に合わず、客席内に入れたのが休憩の時間だった。大森で足止めをくらい、やっと動いたJRを乗り継いで新宿までたどり着いたものの(この時点でもまだ山手線は止まっていたのだ)、新宿でタクシーをつかまえることができなかったと言った。仕方なく、なんと新宿から千駄ヶ谷まで歩いて来たとのこと。A氏を紹介したら「ちょうど地震が起きた時、一緒にいた楽器の練習グループの中にあなたの奥さんがいた!」と突然言い出すから、おかしくて仕方なかった(どうして、世の中こんなに狭いのだろう…)。後からきいたところでは、新宿からだけではなく、高田馬場や神田からも歩いてたどり着いた人が大勢いたとのこと。しかし、新宿近辺までたどり着くことができず、断念して帰宅した人も少なくなかったそうだ。私も家を出る時間がいつも通りだったら、きっと間に合わなかっただろう。

 1曲終わるごとに遅れてきた人たちが現れ、休憩が終わって後半がはじまる頃には開演の時の閑散とした様子がウソのように場内はお客さんでいっぱいになった。予定されていたプログラムがすべて終わったところで、出演者3人が再びステージに登場し、そこで林さんが少しお話をされた。「今日は地震がもう少し遅い時間に起きていたら、コンサートそのものを中止するしかなかったと思う。電車が止まっていたにもかかわらず、こんなにもたくさんの方が駆けつけてくださって、感謝の気持ちでいっぱいです。1曲目の1番のトリオは短い曲だし、あまり演奏される機会もないからぜひとも聴いていただきたかったけれど、今日は間に合わなくて聴き逃された方も多いでしょう。今日はアンコール曲を特に用意していないけれど、せっかくだから、1番のトリオをもう1度演奏したいと思います」……林さんがおよそこのようなことを話すと、客席から「ぜひやれ」と促すような拍手、その後、第1番のトリオが再度演奏された。

(その2につづく)