私を構成する9枚
#私を構成する9枚 pic.twitter.com/TotrE39Kw1
— ととろお(のべれ助ってん) (@novelletten) 2016, 1月 31
SNSで流行っているタグです。
9枚が9冊だったり9本(映画)だったりといくつかバージョンがあるようです。
(追記)
9枚の画像を正方形の1枚の組写真にする際、以下のアプリを利用しました。
話題の「私を構成する9枚」の画像の作り方!おすすめアプリ
ブーレーズの訃報が流れた日 (2016年1月6日)
ブーレーズの訃報です。 https://t.co/ofph5yjIzn
— ととろお(のべれ助ってん) (@novelletten) 2016, 1月 6
音楽の話題専用アカウント(ここ)もそうでない方もブーレーズの訃報で埋まっています。お年を考えたら仕方のないことですが、そうであってもやはり残念です。ご冥福をお祈り申し上げます。
— ととろお(のべれ助ってん) (@novelletten) 2016, 1月 6
(´-`)。o0(ブーレーズの訃報に驚いた勢いでポリーニ・プロジェクト春祭編(ポリーニは出ない)のセット券を買ってしまいましたね。。。
https://t.co/sEdEbhFtlV
https://t.co/yQhWzMWLK7
※両日とも、ブーレーズ作品あり
— ととろお(のべれ助ってん) (@novelletten) 2016, 1月 6
先日、ポリーニのドキュメンタリーDVDを観た際に話題にした東京文化会館でのブーレーズ指揮LSOの演奏会、NHKが収録し放送しましたが、ブーレーズ追悼番組として放送してほしい。
https://t.co/Votmgt7G5X
https://t.co/zgTUpTcq2q
— ととろお(のべれ助ってん) (@novelletten) 2016, 1月 6
これを見まする。 pic.twitter.com/XqzX4X6rkP
— ととろお(のべれ助ってん) (@novelletten) 2015, 10月 24
後半に出てくるブーレーズ指揮LSO、バルトークのピアノ協奏曲第1番、ブーレーズとポリーニがステージに出るところの映像は東京文化会館のような気がするしNHKの映像が使われているとのことなので、2002年のポリーニ・プロジェクトかな。 pic.twitter.com/zu6eh8wvrH
— ととろお(のべれ助ってん) (@novelletten) 2015, 10月 24
ほんとだ。トレンドにブーレーズ。 pic.twitter.com/ebgMLWlX1J
— ととろお(のべれ助ってん) (@novelletten) 2016, 1月 6
リアルタイムにもブーレーズ pic.twitter.com/mmv75G4v8H
— ととろお(のべれ助ってん) (@novelletten) 2016, 1月 6
あったよねえ、そういえば。https://t.co/Az4MM2z059
— ととろお(のべれ助ってん) (@novelletten) 2016, 1月 6
今日はあれからブーレーズのマーラー、DL祭り状態だったんですね。(私も300円でDLした
— totoroo (ととろお) (@franzpeter_d944) 2014, 1月 7
こんなのもあった。https://t.co/5YonU7GBlM
— ととろお(のべれ助ってん) (@novelletten) 2016, 1月 6
びっくりした。これ聴きに行った。別の日のマーラー6番も。懐かしい^^ QT TOWER_Classic: ブーレーズ&グスタフ・マーラー・ユーゲント管による2003年、東京での“語り草”的な名ライヴが遂にCD化。輸入盤が本日、入荷。http://t.co/wQy3Cpvy
— totoroo (ととろお) (@franzpeter_d944) 2012, 1月 31
ブーレーズ指揮のシューマンのファウスト https://t.co/Fk5pk6d6kG
家の中にあるはずなのに見つからない(毎度。 #家宅捜索ちゅう
— ととろお(のべれ助ってん) (@novelletten) 2016, 1月 6
学生の頃、このポリーニのCD、ブーレーズのソナタを含めて、一体何回聴いたかっていうくらい聴いた。https://t.co/Ms90absuup
— ととろお(のべれ助ってん) (@novelletten) 2016, 1月 6
エマールで思い出した。2005年、ブーレーズのソナタ1番やシューマンの交響的練習曲と謝肉祭が取り上げられたエマールのリサイタルのアンコールで弾かれたブーレーズのノタシオンが凄まじくて、あれにノックアウトされたのだった。(初台で交響的練習曲、三鷹で謝肉祭)
— ととろお(のべれ助ってん) (@novelletten) 2016, 1月 6
(´-`)。o0(家の中で行方不明のブーレーズのファウストのCDがまだ出てこない。
— ととろお(のべれ助ってん) (@novelletten) 2016, 1月 7
— ととろお(のべれ助ってん) (@novelletten) 2016, 1月 7
— ととろお(のべれ助ってん) (@novelletten) 2016, 1月 7
きたー!ヾ(・◇・)ノ" pic.twitter.com/PZqosICLy2
— ととろお(のべれ助ってん) (@novelletten) 2016, 1月 7
朝日新聞の連載「音を継ぐ」の朝比奈隆さんの記事 (2015-2016)
ツイッターでご紹介したものをまとめました。
記事の全文閲覧にはログインが必要です。登録は無料です。
朝日新聞デジタル 連載「音を継ぐ」(吉田純子)
■音を継ぐ 25 朝比奈隆 1
「音楽は人なり」を体現
2015年10月26日16時30分
(下野竜也氏)「ある意味生まれながらの指揮者であり、指揮者という仕事を超える存在でもあった」
■音を継ぐ 26 朝比奈隆 2
世界の人脈へ、深く太く
2015年11月2日16時30分
「大阪という枠にとどまらぬ、日本初『純国産』の音楽家」(岩野裕一)
「日本には素晴らしいブルックナー指揮者がいた。アサヒナだ」(バレンボイム)
「パーヴォ・ヤルヴィも、朝比奈の録音を熱心に収集していることで知られる」
(写真)「1956年6月、ベルリン・フィルに初めて招かれる。芥川也寸志や大栗裕ら日本の作曲家の作品も採りあげた。メインはベートーベンの交響曲第4番」
http://www.asahi.com...
■音を継ぐ 27 朝比奈隆 3
曲に託す思い、楽団を尊重
2015年11月9日16時30分
外遊中の1953年、フィンランドでフィンランディアを指揮した話、アールトネン「Hiroshima」との出会いなど。
■音を継ぐ 28 朝比奈隆 4
みな同志、吹奏楽でもタクト
2015年11月16日16時30分
作曲家・大栗裕とのエピソードほか。
「朝比奈に指揮を学んでいた楽員が、プロフィルに『朝比奈隆に師事』と書いていいか、と尋ねると、朝比奈は『弟子をとった覚えはない。君と僕は音楽の前では同志、仲間じゃないか』と穏やかに返した」
■音を継ぐ 29 朝比奈隆 5
愚直、作曲家の意図に奉仕
2015年11月30日16時30分
「朝比奈が最初にブルックナーを振ったのは51年、43歳の時。最多は96年、88歳の時で年間14回。93歳で死去した01年にも、10回挑んでいる。」
■音を継ぐ 30 朝比奈隆 6
媚びない開拓者に心酔
2015年12月7日16時30分
(山田耕筰と近衛秀麿)「個性は違えど、朝比奈がこの2人から共通して受け継いだものがある。品格と矜持だ。」
「求められればどこへでも。しかし、音楽家という仕事への誇りは決して穢させない。」
(写真)朝比奈隆、桂米朝
http://www.asahi.com...
■音を継ぐ 31 朝比奈隆 7
「寄り道」独自の豊かさに
2015年12月14日16時30分
「朝比奈の音楽的思想の核は、クラシックの本場である西欧諸国より、むしろ圧倒的な西欧文化と対峙しながら独自の文化を模索していたロシアに導かれた」(岩野裕一)
(写真)藤原義江、朝比奈隆
http://www.asahi.com...
■音を継ぐ 32 朝比奈隆 8
奏者養うため、仕事選ばず/戦後とクラシック
2016年1月4日16時30分
「膨大な記録から浮かび上がるのは、音楽と経営、双方で一流たらんとした朝比奈の心意気だ。とりわけ旧満州から引き揚げてから、数年間の仕事量が尋常ではない」
「せっかく日本に芽吹いたオーケストラの文化を途絶えさせてはいけない。奏者を食べさせるためなら仕事は選ばない。戦後音楽界の『家長』としての矜持が透けてみえる」
(写真)朝比奈隆氏と猫
http://www.asahi.com...
■音を継ぐ 33 朝比奈隆 9
戦時中培った「信じる強さ」/戦後とクラシック
2016年1月18日16時30分
(戦争中、上海へ)「英国などによる共同租界の地だったこの都市で、朝比奈はオーケストラを率いることを大東亜省(現外務省)に命じられる」
(甘粕正彦の招きでハルビンへ)
「このハルビン時代に朝比奈は、ひとつの重要な確信を得る。演奏家の仕事は、作曲家が楽譜に託した世界観を、形式や音の動きなどから誠実に読み解くこと、これに尽きる」
(ハルビン時代)
「楽譜を礎に、より良き演奏を目指す行為に、国籍や民族の差異は何ら意味を持たない」
「人間性そのものを信頼する楽天的な強さ」
片山杜秀「この強さの種は、実は上海に渡る前、すでに朝比奈のなかにまかれていた」
「まいた主は京大時代の朝比奈の恩師で美学者、植田寿蔵(1886~1973)」
「作品はつくる人、見る人の間で常に流動し、その都度新しいかたちで立ち現れるべきものであり、それが芸術というものの本質なのだと植田は説いた」
「西洋文化へのコンプレックスとは無縁に、朝比奈がベートーベンやブルックナーを自身の歩幅で悠々と開拓できる土壌を作ったのは、畑違いの植田の哲学だったのでは、と片山は言う」
----- めも -----
「植田 寿蔵(うえだ じゅぞう、1886年3月11日 - 1973年11月27日)は、日本の美学者、美術史家、京都帝国大学名誉教授」
Wikipedia https://ja.wikipedia.org...
毎日新聞の寺西昭子さんのインタヴュー記事 (2015.12.24)
ツイッターでご紹介したものを転載しました。
毎日新聞
Interview:寺西昭子 空襲警報下で聞いたピアノ 戦中・戦後の音コンで活躍
2015年12月24日 東京夕刊
(昭和19)「本選の日も空襲警報が鳴って(…)」「終わって外に出ると、明かりひとつなく真っ暗で重苦しい。それでも井上園子先生と一緒に歩いて、満たされる気持ちでした。その後、日ごとに空襲がひどくなり、工場からB29の編隊が見えて、皆で死んじゃうかなと思ったこともありました」