エリック・ル・サージュ 彩の国さいたま芸術劇場

●7/9(土) 彩の国さいたま芸術劇場 音楽ホール(マチネ)
100人を聴く10年 ピアニスト100
「84/100 エリック・ル・サージュ」

シューマン / 蝶々 op.2
シューマン / フモレスケ op.20

ベートーヴェン / ピアノ・ソナタ 第30番 ホ長調 op.109
シューベルト / 幻想曲 ハ長調 「さすらい人幻想曲」 D760 (op.15)

(アンコール)
ドビュッシー / 「版画」 ~ 「塔」
シューマン / ダヴィッド同盟舞曲集 op.6 から
シューマン / ロマンス op.28 ~ (第1曲?)

 ※この月は暑さのあまり、ぼーっとしてしまって、うっかり、アンコール曲をメモし忘れてしまいました。なので、アンコール曲については曖昧な記憶を頼りに曲名を入れています。間違っているかもしれません。同じ公演に行かれた方で、もしも間違いを見つけた方がおられたら、ご一報いただけると(本当に)助かります。


 当日、ホールで配布されていたプログラムノートを開演前にさらっと見た際、ル・サージュが2006年からシューマンのピアノ作品と室内楽作品の全曲録音を開始する云々というようなことが書かれていたので驚いてしまった。相当、シューマンが好きなのだろう。室内楽の録音も行うというのは心強い。フランスの演奏家の録音といえば、レーヌ・ジャノリ(Reine Gianoli 1915-1979)(※ 1)のピアノ独奏曲の全集が知られているし、ユボーらによる室内楽作品の全集もエラートから発売されている。フランスの演奏家にはシューマン贔屓が伝統的に多いのだろう。(※ 2)

 さて、この公演の開演前、「ピアニスト100」の音楽監督・中村紘子さんがステージに登場し、ル・サージュの紹介がてら、彼との出会いなどを語った。あんなに多忙な人が「100人シリーズ」がある度に毎回、与野まで足を運んでいるのかと驚いたのだけれど、WEBに公開されている記者会見[リンク切れのためリンク削除]の内容を読む限りでは、今年予定されていた2回のうちの1回がたまたま私が出かけたル・サージュの公演だったようだ。

 中村さんのお話の大略は、「もう随分と前からル・サージュに注目していた」ということ、それから、「今回のプログラムはル・サージュ本人が決めたけれど、フランスのピアニストでありながら、すべての曲目をドイツもので固めた点、とても興味深いと思う。どんな演奏になるのか今日はとても楽しみだ」というような内容だった。

 アンコールを含めて、この公演、いずれの作品の演奏もすばらしかった。パピヨンでは殊に最後の最後で音が消えていくところなど、その消える瞬間瞬間が鮮明に聴こえ、なんと美しい音の消滅の姿か、釈迦の寂滅の瞬間もかくやと思わずにはいられなかった。ライヴならではの熱気やエネルギーが演奏から湧きあがってきたし、実際、ル・サージュが作り出す音楽の推進力は並々ならぬものだった。シューマンが嫌いな人たちの中には「シューマンの音楽はいらいらした音楽に聞こえる、だから嫌い」というようなことを言う人もいるけれど、その印象ははずれてはいないと思う。じりじりした焦燥感や制御不可能な高揚感に(ある意味で「暴力的に」)駆り立てられる姿は私の中のシューマン像にも重なるものだから。その焦燥感や高揚感があふれ出てこそのシューマンではないかとも思う。特にフモレスケでは、ル・サージュはこのシューマン特有の焦燥感と高揚感、絶望と陶酔を劇的に描いていたように思う。プログラムの最後の「さすらい人」の Presto - Allegro はもちろんこの公演の白眉だったのだろうけれど、私にとっての白眉は疾風が逆巻くフモレスケだった。

 ル・サージュが次に日本に来た時にも、またシューマンを弾くのだったら、ぜひとも出かけて聴きたいと思う。

(※ 1)シューマンを得意としていたナットやコルトーの薫陶を受け、往時はフランスを代表するピアニストの1人だった女流演奏家。
ジャノリのシューマン全集

(※ 2)前々から、フランスの作家や思想家、哲学者にはシューマンを題材にした著作が目立つなあとも思っていたので、いずれフランスの音楽家や知識人とシューマンのつながりについてでも考える機会がここで持てればよいと思う。