●9/27(火) 銀座ヤマハホール
モンサンジョンとの3日間 in Tokyo
[第1日/夜の部]
*演奏
(ヴァイオリン)ヴァレリー・ソコロフ
(ピアノ)川島余里
シューマン=クライスラー / 幻想曲 ハ長調 op.131
バッハ / 無伴奏ヴァイオリン・ソナタ 第2番 イ短調 BWV1003 より
グラーヴェ/フーガ
ドビュッシー / ヴァイオリンとピアノのためのソナタ
サラサーテ / カルメン幻想曲
(アンコール)
*鼎談 「音楽家を映像で撮るということ」
ブリュノ・モンサンジョン / 映像作家
佐々木昭一郎 / 音声・映像作家
(元NHK 現在テレビマンユニオン)
筒井武文 / 映画監督(司会)
この日に演奏されたシューマンのヴァイオリンと「ピアノ」のための幻想曲、これを生で聴けたのは望外の喜びだった。というよりも、これを聴くために、当初は出かける予定にしていなかった初日に出かけたのだった。この作品は晩年の傑作だが、原曲のオーケストラとの共演版とピアノとの共演版のどちらも、録音があまりないし、演奏会で取り上げられる機会も少ない。まったく取り上げられない、というほどのものではないが、それにしても、機会を逃してしまうと、次に生で聴ける機会がいつやってくるかわからない程度には取り上げられる機会が少ない。私はツェートマイアー(エッシェンバッハ指揮)のCDで出会って以来、10数年の間、この作品をひたすら愛聴してきたし、いつかは自分でも弾いてみたいと思っているほど入れ込んでいるのだが、残念ながら、これまで演奏会でこの曲に接する機会がなく、この時はじめて(念願かなってやっと)生で聴くことができた。
演奏したのはヴァレリー・ソコロフ Valeriy Sokolov という若い人。まだ10代という情報もあるけれど、ネット上にもあまり情報がなく、詳しいことはわからない。(※)
この時のシューマンはとてもダイナミックな演奏だった。いくらか粗削りという感じもしないことはなかったけれど、世間では捉え難いと言われることもある「晩年のシューマン」の音楽の流れをソコロフなりによく斟酌していた。クライマックスに向かって極めて高い集中力を発揮し、その点に流れを集約させる見事な演奏だった。音色は決して私の好みではなかったが、高みに昇る上昇感の力強さ、そのおおらかさは今でも忘れられない。
このミニ・リサイタルの後の鼎談の中でモンサンジョンが明かしていたこと ── ヴァイオリンを学んでいた少年時代、彼はオイストラフの演奏会に出かけ、この曲を聴き、それまでの人生がひっくり返るほど激しく感動したとのこと。演奏会の後、何日経ってもその興奮は冷めず、後からでもオイストラフが弾いたシューマンを1音余さず思い出すことができたと語っていた。その時の体験が後にオイストラフの映画を作るきっかけになったそうだ。いい話だと思う。
その初日の鼎談だけれど、一応「鼎談」となっていて、出席者も3人いたのだが、ほとんどモンサンジョンが1人で話をしていた。私としてはかつてNHKで伝説的な作品をたくさん作っていた佐々木さんの話もたくさん聞きたかったのだが、残念ながら彼はほとんど話さず、「モンサンジョンさんにどんどん質問してほしい」と客席に呼びかけたほどだった。初日のモンサンジョンの話として印象的だったのは件のオイストラフの話、それからオイストラフの映像をあちこちで探しまわって映画制作に結びつけた話、メニューインとの逸話など。そして、やはり最後にはどうしたって触れないわけには行かない、グールドとの逸話の数々。モンサンジョンにしか語れないような話ばかりでおもしろかった。だからスケジュール的には厳しかったけれど、出かけて良かった。
(文中、一部敬称省略)
(※)モンサンジョンはソコロフのドキュメンタリー映画「Natural Born Fiddler」を撮影、これはヤマハホールでも上映されたが、都合がつかなくて私は観なかった。