ブーレーズの訃報が流れた日 (2016年1月6日)

朝日新聞の連載「音を継ぐ」の朝比奈隆さんの記事 (2015-2016)

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朝日新聞デジタル 連載「音を継ぐ」(吉田純子)

■音を継ぐ 25 朝比奈隆 1
「音楽は人なり」を体現
2015年10月26日16時30分

(下野竜也氏)「ある意味生まれながらの指揮者であり、指揮者という仕事を超える存在でもあった」

■音を継ぐ 26 朝比奈隆 2
世界の人脈へ、深く太く
2015年11月2日16時30分

「大阪という枠にとどまらぬ、日本初『純国産』の音楽家」(岩野裕一)

「日本には素晴らしいブルックナー指揮者がいた。アサヒナだ」(バレンボイム)

「パーヴォ・ヤルヴィも、朝比奈の録音を熱心に収集していることで知られる」

(写真)「1956年6月、ベルリン・フィルに初めて招かれる。芥川也寸志や大栗裕ら日本の作曲家の作品も採りあげた。メインはベートーベンの交響曲第4番」
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■音を継ぐ 27 朝比奈隆 3
曲に託す思い、楽団を尊重
2015年11月9日16時30分

外遊中の1953年、フィンランドでフィンランディアを指揮した話、アールトネン「Hiroshima」との出会いなど。

■音を継ぐ 28 朝比奈隆 4
みな同志、吹奏楽でもタクト
2015年11月16日16時30分

作曲家・大栗裕とのエピソードほか。

「朝比奈に指揮を学んでいた楽員が、プロフィルに『朝比奈隆に師事』と書いていいか、と尋ねると、朝比奈は『弟子をとった覚えはない。君と僕は音楽の前では同志、仲間じゃないか』と穏やかに返した」

■音を継ぐ 29 朝比奈隆 5
愚直、作曲家の意図に奉仕
2015年11月30日16時30分

「朝比奈が最初にブルックナーを振ったのは51年、43歳の時。最多は96年、88歳の時で年間14回。93歳で死去した01年にも、10回挑んでいる。」

■音を継ぐ 30 朝比奈隆 6
媚びない開拓者に心酔
2015年12月7日16時30分

(山田耕筰と近衛秀麿)「個性は違えど、朝比奈がこの2人から共通して受け継いだものがある。品格と矜持だ。」

「求められればどこへでも。しかし、音楽家という仕事への誇りは決して穢させない。」

(写真)朝比奈隆、桂米朝
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■音を継ぐ 31 朝比奈隆 7
「寄り道」独自の豊かさに
2015年12月14日16時30分

「朝比奈の音楽的思想の核は、クラシックの本場である西欧諸国より、むしろ圧倒的な西欧文化と対峙しながら独自の文化を模索していたロシアに導かれた」(岩野裕一)

(写真)藤原義江、朝比奈隆
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■音を継ぐ 32 朝比奈隆 8
奏者養うため、仕事選ばず/戦後とクラシック
2016年1月4日16時30分

「膨大な記録から浮かび上がるのは、音楽と経営、双方で一流たらんとした朝比奈の心意気だ。とりわけ旧満州から引き揚げてから、数年間の仕事量が尋常ではない」

「せっかく日本に芽吹いたオーケストラの文化を途絶えさせてはいけない。奏者を食べさせるためなら仕事は選ばない。戦後音楽界の『家長』としての矜持が透けてみえる」

(写真)朝比奈隆氏と猫
http://www.asahi.com...

■音を継ぐ 33 朝比奈隆 9
戦時中培った「信じる強さ」/戦後とクラシック
2016年1月18日16時30分

(戦争中、上海へ)「英国などによる共同租界の地だったこの都市で、朝比奈はオーケストラを率いることを大東亜省(現外務省)に命じられる」

(甘粕正彦の招きでハルビンへ)
「このハルビン時代に朝比奈は、ひとつの重要な確信を得る。演奏家の仕事は、作曲家が楽譜に託した世界観を、形式や音の動きなどから誠実に読み解くこと、これに尽きる」

(ハルビン時代)
「楽譜を礎に、より良き演奏を目指す行為に、国籍や民族の差異は何ら意味を持たない」
「人間性そのものを信頼する楽天的な強さ」

片山杜秀「この強さの種は、実は上海に渡る前、すでに朝比奈のなかにまかれていた」

「まいた主は京大時代の朝比奈の恩師で美学者、植田寿蔵(1886~1973)」
「作品はつくる人、見る人の間で常に流動し、その都度新しいかたちで立ち現れるべきものであり、それが芸術というものの本質なのだと植田は説いた」

「西洋文化へのコンプレックスとは無縁に、朝比奈がベートーベンやブルックナーを自身の歩幅で悠々と開拓できる土壌を作ったのは、畑違いの植田の哲学だったのでは、と片山は言う」

----- めも -----

「植田 寿蔵(うえだ じゅぞう、1886年3月11日 - 1973年11月27日)は、日本の美学者、美術史家、京都帝国大学名誉教授」
Wikipedia https://ja.wikipedia.org...

植田寿蔵 :: 東文研アーカイブデータベース

毎日新聞の寺西昭子さんのインタヴュー記事 (2015.12.24)

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毎日新聞
Interview:寺西昭子 空襲警報下で聞いたピアノ 戦中・戦後の音コンで活躍
2015年12月24日 東京夕刊

(昭和19)「本選の日も空襲警報が鳴って(…)」「終わって外に出ると、明かりひとつなく真っ暗で重苦しい。それでも井上園子先生と一緒に歩いて、満たされる気持ちでした。その後、日ごとに空襲がひどくなり、工場からB29の編隊が見えて、皆で死んじゃうかなと思ったこともありました」

朝日新聞のバレンボイムの長文インタヴュー (2015.12.09)

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朝日新聞デジタル
音楽は敵を超える 指揮者・ピアニストのバレンボイム氏 (吉田純子)
2015年12月8日18時58分

「ワーグナーに限らず、大戦中、さまざまな政治的メッセージをまぶされてしまった不幸な芸術は、どの国にもある。そうした思惑から解放し、純粋に新しい耳で聴き直す動きを若い世代に導いてもらいたい」

「日本にも、すばらしいブルックナー指揮者がいましたよね。朝比奈隆。」「録音などから多くを学びました。思うに彼は、ブルックナー演奏に不可欠な大きなラインというものをどう表現するべきか、独自につかんでいたのだと思います」

朝日に掲載されているバレンボイムの長文のインタビュー、興味深い内容ですね。後半にアルゲリッチの話題も登場していました。バレンボイムにとって最もドイツ的なピアニストはアラウだそうです。