今年読んだ本の中から。
最初なので、どの本を取り上げようかと迷ったが、最も印象的だった本として Paulo Coleho "ALCHEMIST" をあげたい。
日本語の翻訳も出ていて、結構有名な本だそうだけれど、本を手にした時には予備知識はまったくなかった。「ALCHEMIST」というタイトルがボルヘスの「パラケルススの薔薇」を思い出させたので購入。(ボルヘスについては、いずれ、ゆっくりたっぷり書きたいと思っている)
スペインのアンダルシア地方で羊飼いをしている Santiago という少年が、不思議な夢に導かれてエジプトに渡り、そこで経験を積み、冒険を経て、夢の実現(具現)にたどり着く。夢にはじまり、夢に終わる物語。ただし、この夢はリアリティのある夢…貯金をして会社を立ち上げる、とか、医学部に行って医者になる、とか…ではない。夜、寝ている時に見る夢の方だ。
少年は旅立つが、その旅の終着点は結局は出発点だった。
「行って帰ってくる物語」=このことはトールキンの「指輪物語」とル=グウィン(ル・グィン)のSF作品に関して、10年近く前に私が論じたことでもあるのだが…「旅」の基本の姿とは行って帰ってくることであり、行ったきり戻ってこないのであれば、それは「旅」ではなく「さすらい」であり「漂泊」にすぎない。
ノヴァーリスの中の私の大好きな一節を引こう。主人公ハインリヒが旅に出る時の様子だ…「そして彼は、自分がこれから旅して向かっていく広大な世界を長く遍歴した末に、また自分の故国に帰って来るような、したがって、そもそもはただ故郷へ向かって旅しているような奇妙な予感を抱きつつ、今あとにしてきたテューリンゲンの方を眺めやった。」(*)
Santiago 少年の旅もやがては出発点に戻る。そこで彼は何を見つけるのか。
この物語のキーワードの1つに「宝」があるだろう。彼は「宝」の夢を見るのだけれど、それは彼が見つけるべきもの、目指すべきものであると同時に、それを目指している道中に彼が出会った人たち、その人たちの言葉、その人たちと共に過ごした時間のことでもあるように思えた。宝を見つける過程の経験や出会いも、また宝なのだ。
もう1つ、大事なキーワードは(本文に書かれているままの言葉で書けば) "Maktub" (マクトゥーブ、メクトゥブ)。初めて出会った語彙だったこともあり、とても印象的だった。アラビア語で「書かれている」という意味だそうだ。現在も過去も、すべてのことは、大いなる存在によって既に「記録されている」というようなニュアンスらしい。夢にはじまって夢に終わる旅は、大いなる存在によって設計され既に書かれていた…そうでなければ、こうも美しく実行されたり完結したりしないに違いない。実はこの本を読み終えた後、別の本で「メクトゥブ」と訳された同じ言葉と再会した。「この頃、よく出会う言葉だな」と驚いた(私のこれまでの人生には存在しなかった語彙だけに)。それもこれも、既にどこかに書かれていること= Maktub の具現に過ぎないのかもしれない。
少年の夢を後押しした老人たちの言葉も忘れられない。
少年が滞在した2つの町での話。若い頃には大きな夢を抱いていた人が、その夢を「いつかは」実現しよう、その機会は「今度」にとっておこう…などと思っているうちに、守るべきものができ、身軽に旅に出かけられなくなり、やがては年老いてゆく…。夢の実現がかなわないまま、夢は夢のままとして保ち続け、その一生を終えてしまう…。それも1つの立派な生き方なのだが、それを示された少年は夢を信じ、何が待ち受けているかわからない旅へと踏み出す。すべては「書かれている」としても、私たちにはその「書かれている言葉」を読むことはできない。結局は自分の意思と直感で進む方角を決めるしかない。けれど、本当に悩み考えた結果であれば、それは正しい。というか、そうして選んだ道に間違いはない。たとえ結果が不本意なものとなっても。そして、実はそれらすべてが「書かれている」。
あの道か、この道かと迷う時には、しばらくの間、この物語を思い出すことになりそうだ。
(*)…ノヴァーリス「青い花」薗田宗人訳、pp.31-32、『ノヴァーリス』国書刊行会、1983
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●リンク
(日本語訳)
パウロ・コエーリョ『アルケミスト ~ 夢を旅した少年』
山川紘矢・山川亜希子訳、角川文庫
→ 角川書店内の情報
(ペーパーバック(英語版))
The Alchemist: A Fable About Following Your Dream
By Paulo Coelho
Publisher: HarperCollins