●10/23(日) サントリーホール
イーヴォ・ポゴレリッチ ピアノ・リサイタル
ショパン / 夜想曲 ホ長調 op.62-2
ショパン / ピアノ・ソナタ第3番 ロ短調 op.58
スクリャービン / ピアノ・ソナタ第4番 嬰ヘ長調 op.30
ラフマニノフ / ピアノ・ソナタ第2番 変ロ短調 op.36
(アンコールなし)
このリサイタルから1年以上経ち、その間、いろいろな人がいろいろなところでこのリサイタルのことを書いているから、その場にいなかった人たちにもある程度の情報というかウワサはもう十分に伝わっているだろう。
前回、私がポゴレリッチを聴いたのは彼がシューマンのトッカータを弾いたプログラムだった。1997年のリサイタル、2日あった東京公演を2日とも聴いた。彼のシューマン(トッカータ op.7)とブラームスを聴くために取ったチケットだったはずだが、今でも強い印象が残っているのは彼の弾いたショパンだ。彼はプレリュード(「24の前奏曲」の全曲)を弾いたのだけれど、私はそれにとてもびっくりした。別の曲を聴いているのかと思うような独特な解釈で、聴きながらとても戸惑った。私にはポゴレリッチがイメージしていたものが見えなかった。共感でも感動でもなく、私の中にあったのは強烈な、そして行き場のない「戸惑い」だった。
終演後、「こんなに個性的な演奏家にはきっと熱狂的なファンがいっぱいいて、今日のようなリサイタルにはそういう人たちがたくさん集まっているのだろうなあ」と思いながらホールの出口に向かった。その時、同じように出口に向かって歩いていた人たちが口々に「わからん…」「こういうのが好きな人がいるだろうな、とは思った」「私はもういい」といったようなことを口々に語り合いながら歩いていたのに遭遇した。面食らった。もちろん、あの場には熱狂的なファンの人たちもたくさんいたのだろうけれど、私はその時、「醒めていた聴衆も少なからずいた」ということに驚いた。自分もその中の1人だったのだから、その醒めた人たちの意見に同調してもよさそうなものだったのだけれど、なぜか、そういう醒めた意見さえ、その時の私には釈然としなかった。だから、私にとっては、あれはもやもやしたまま終わってしまったリサイタルだった。
時は流れ、あのリサイタルから8年経った2005年。久しぶりにポゴレリッチが日本に来るというから、彼も変わっただろうけれど、私も変わっただろうから、私自身が今度はどんな風に彼の音楽に向き合い、それを聴くことができるのかなと、そういう気持ちで(多少、わくわくしながら)チケットを買った。夫人の死後、あまり演奏活動をしていないと聞いていたし、ポゴレリッチにはやや気まぐれなところがあるというウワサだったから、チケットを買ったものの、本当に日本みたいな遠いところまで来てくれるのかと半信半疑だった。案の定(なのか?)、リサイタルの数日前になって、発表されていたプログラムが変更になった。(それも全曲) しかし、私が真っ先に思ったことは「プログラム変更…ということは、本当に来るんだ…」ということだった。だから、プログラムの変更の連絡をしてくれた人にそう言ったところ「みんなそう言うんだよねぇ…」と言われた…(うーむ^^)。
さて、当日。久しぶりに聴いたポゴレリッチは以前にも増して個性的な世界を描いているように私には見えた。後から、あのリサイタルについてのいろいろな人の意見を見たけれど、怒っていた人、理解不能と言っていた人、理解できないがとんでもない「事件」に遭遇したと思ったと言っていた人…そのような意見を見て、以前の私の「戸惑い」を思い出した。8年前、私はなぜあんなに戸惑い、もやもやした気持ちのままサントリーホールから帰ってきたのだろう。そう改めて考えてしまった。2005年のリサイタルは確かにセンセーショナルだった。でも、私自身にとっては「戸惑い」とは別の、もう少し積極的な印象を感じるものだった。私なりに感じるところの多い、考えるところの多いリサイタルで、聴きに行ってよかったと思った。
(この記事については後でまた続きを書きたいと思う)
2007.01.14 改訂
データ部分を書き直したので一部改訂。
2007.01.14
続きを書きました。