藝大 ラヴェル・プロジェクト ピアノ曲全曲演奏会

●5/28(土) 東京藝術大学奏楽堂
ラヴェル・プロジェクト
レクチャー&コンサート(全4回)から
第2回 「ピアノ全曲演奏会」(コンサート)


 内容の充実した公演だったし、聴く側としても非常に充実した時間を過ごせた。一昨年、昨年と出かけたプロコフィエフドヴォルジャークのシリーズでは、客席が少しさみしかったから(私が出かけた日だけだったのかもしれないけれど)、このラヴェルもそんな感じかなと思っていたら、とんでもない、超満員の大盛況だった。

 この日のコンサートの前に置かれたレクチャーは5時開演。後半のコンサートが長そうなので、レクチャーの方は(とても聴きたかったのだけれど)見送ってしまった。果たして、コンサートは本当に長丁場だった。前半が終わって、休憩の間、ふと時計を見たら既に8時20分を過ぎていた。このコンサートは6時半開演だったから、前半だけで2時間近く経過していたことになる。コンサートがすべて終わってホールから出たのが9時半近かったから、終わってみれば3時間にわたる「大コンサート」だった。しかし、会場では、どのお客さんも3時間の間、熱心に集中してラヴェルの作品に耳を傾けていたから、ダレた雰囲気はまったくなかったし、ステージの上では交替で登場するピアニストたちによる熱演が繰り広げられ、聴き終わった後の充実感や満足感は格別だった。

 すべてを通して聴いていて、たとえば、シューマンが晩年の作品で垣間見せたものが、不意にラヴェルの中に鳴り響くような気がしたり、あるいは、シェーンベルクを思わせるフレーズが瞬間あらわれたような気がしたりと、私が個人的にピアノ曲の系譜というものを考える上でも、おもしろさを感じた公演だった。ロマン派と近代とモダン…この3つの時間軸のようなものがラヴェルの上で複雑に交差しているようなイメージさえ私は持つことができたから。

 この夜はどの出演者も好演で、出演者に恵まれたコンサートだったと思う。けれど、遠藤郁子さんの「鏡」については一言書いておきたい。美しくも鋭利な音楽だったのだけれど、それをどのように喩えたらよいのかわからない。ただ「鋭い」とか、ただ「美しい」というのではないのだから。遠藤さんはとても特別な世界を音にしていた。もちろん、それはラヴェルの世界だし、どのピアニストも特別な世界を音にしていたには違いないのだけれど。けれど、それでも敢えて言えば、やはりそれは特別だった。遠藤さんはラヴェルがどのような奥義を持っている人だったのか、その一端を垣間見せてくれたように思うのだ。

 あの「鏡」は特別な「何か」だった。それに、とても恐ろしい「何か」だった。もちろん、「何か」とは音楽にほかならないのだけれど、音楽を超えた音楽、やはり「何か」として言葉で言いたくなるような「何か」だったのだ。その恐ろしい「何か」が、どんどんと目の前に迫ってきて、ついには自分をあの世かどこか、身の毛のよだつような「何か」であふれている世界にむんずと引きずりこむような、そんな錯覚さえ覚えた。しかも、その恐ろしい「何か」で満たされている世界はどこまでも美しいのだから、いっそう恐ろしい。この地上のものではないもの、美しいが恐ろしいもの…。

 「音が冴えわたる」というような表現があるとしたら、ああいう世界のことをひっくるめて言うのだろうなと思った。


藝大ラヴェル・プロジェクトの詳細
http://www.geidai.ac.jp/
sougakudou/2005/20050521.html

●出演者と演奏曲目

砂原悟(藝大音楽学部器楽科非常勤講師)
グロテスクなセレナード
古風なメヌエット
亡き王女のためのパヴァーヌ

佐藤俊(同非常勤講師)
水の戯れ
ソナチネ

遠藤郁子(同元非常勤講師)

岡本愛子(同非常勤講師)
夜のガスパール

伊藤恵、青柳晋(同助教授、同助教授)
マ・メール・ロワ(4手連弾)

浜口奈々(同非常勤講師)
ハイドンの名によるメヌエット
高雅で感傷的なワルツ

佐野隆哉(藝大大学院音楽研究科修了)
・・・・・・風に ボロディン風に ; シャブリエ風に
前奏曲

松岡淳(藝大音楽学部器楽科非常勤講師)
クープランの墓