タン・ドゥンが自作曲を指揮「ザ・マップ」 N響 6月B定期

●6/23(木) サントリーホール
N響定期(6月Bプロ2日目)

(指揮)タン・ドゥン
(チェロ)アンッシ・カルットゥネン

ボロディン / 歌劇「イーゴリ公」~ダッタン人の踊り
チャイコフスキー / 幻想序曲「ロメオとジュリエット」
タン・ドゥン / ザ・マップ: チェロとビデオとオーケストラのための協奏曲

 前半のロシアものは何のためにプログラムに組み込まれたのか、よく理解できない。私個人は前半を聴かずに後半から出かけてもよかったなと後から思ったけれど、それとは反対に後半を聴かずに前半だけ聴いて帰った人も少なくなかったのではないかと想像している。タン・ドゥン作品の演奏に先立って(前半のロシアものの後、休憩が終わったところで)、通訳を交えつつ、タン・ドゥンが英語で作品の意図を解説した。普通は開演前にこういう説明があるものなので、休憩の後にマイクを通した解説を聴くことには異和感があったけれど、作曲者本人が出てきてあれこれ解説した方が、聴く側にとっては親切だっただろうから、これはこれでよかったと思う。けれど、私はこの公演は作品や演奏云々の前に、プログラムの組み方の点で失敗してしまったと思う。客足が遠のくことにつながりかねないから、あまりに冒険的なプログラムは組めないのかもしれないけれど、このプログラム全体には、少なくとも私は芸術的な意味合いを見出せない。

 それはさておき、「ザ・マップ」がおもしろかった。四半世紀ほど前、タン・ドゥンがまだ北京の音楽院の学生だった頃、故郷の湖南省に「民俗音楽」の収集に出かけた時に出会った石鼓の名人に触発されたものとのこと。タン・ドゥンによれば、シャーマン的な要素を持った石鼓の名人の音楽を「一つの地図」だと感じたという。後にヨーヨー・マとボストン交響楽団のためにこの「ザ・マップ」を書きはじめた時、石鼓の名人を再度訪ねたが、その時には既に名人はこの世になく、彼が持っていた石鼓の技の継承も途絶えてしまい、今では音楽そのものが消滅してしまったことを知ったという。タン・ドゥンはマルチメディアとオーケストラを利用して、失われた石鼓の名人の世界を彼なりに再現し、この世に留めておきたいという思いから、この作品を書いたようだ。

 「ザ・マップ」は私にとっては20年近く前に世界のポピュラー音楽のシーンで流行った「民族(民俗)音楽と西洋風の音楽(電子楽器による音楽を含む)とマルチメディアのコラボレーション」の延長のようなものに感じられたのだけれど(※)、大規模なオーケストラとスクリーンを多用した規模の大きな演出と編成など、コラボレーションの巧みさ(塩梅のうまさ、言い換えれば、聴きやすく仕上げている点)で成功した作品だったと思う。

 ステージの上を含めて、ホールの中にはスクリーンがいくつか設置され、タン・ドゥンが中国で採集し、撮影してきた民俗音楽がそのままの形で放映された。オーケストラは彼らの共演者であり、伴奏者であり、時にはスクリーンの映像と音楽が協奏曲のソリストのように扱われた。映像を伴った民俗音楽と、目の前のオーケストラの2つの音楽が1つの音楽として再創造され、新しい世界を作るだろうというタン・ドゥンのメッセージを感じることができた。西洋の楽器を使った部分でも、それらは民俗的な表現を持ち、それが結果的には民俗的な音楽の「特殊性」を消し去って、ボーダーラインを曖昧にしたように感じた。音階とかフレーズとか、リズムとか、そういった個々の要素が民俗的なニュアンスを持っているのはこの作品の趣旨からいって当然なのだが、そういうことではなく、日本人のオーケストラが演奏しているにもかかわらず、日本人であるとか、西洋の楽器の集団であるとかといった「個別の要素」が曖昧にぼかされて、かといって(やはり個別であり、特殊性を持つ)「中国の音楽」として成り立っていたわけでもなく、「もっと全体的なもの」の中の「1つの存在」というものを感じる瞬間があった(特殊性と個別性がぼかされれば、普遍的なものになるかといえば、そうではないので、この辺の受け止め方は微妙なのだけれど)。あるいは、ごく単純に、中国の少数民族の珍しい歌謡とオーケストラとの「合体音楽」がおもしろかった。

 N響のパーカッション・セクションがステージ上で石を打ち鳴らした部分が特に印象的だった。石を燧石のようにカチカチと両手で叩いたのだけれど、これが音楽的でおもしろかったし、叩きながら石に息を吹きかけると音色がおもしろく変化して、打楽器なのか笛なのかと、これまたおもしろかった。(息を吹きかけるところは日本の石笛みたいな感じだった。)

 とは言え、それはこれらを実際に演奏会場でスクリーンを見ながら、オーケストラを目の前にしていたから感じたことであって、テレビでは全体が見えないだろうから、今、この瞬間、オーケストラが何をやっているのか、とか、スクリーンには何が写っていて、そこで中国の人々が何を歌ったり演奏したりしているのか、といったことについては、聴いている側はつかみにくいだろうし、ラジオでの中継に至っては、おもしろさも作品の意図も半減してしまうのではないかと思った。けれど、ホールで聴くとおもしろい。スクリーン(スピーカー)から流れてくる音楽なのか、オーケストラが今目の前で生み出している音楽なのか、判然としない瞬間があり、おもしろい体験だった。

 この公演の数日後、あるアメリカ人にこのことを話したら「おもしろそうだ」と私の話だけを聞いて喜んでいたので、アメリカでは日本でよりも、もっとウケる作品なのかなとも感じた。

 (この作品はボストン交響楽団の委嘱により作曲され、2002年に同楽団によって初演されたとのこと。)

(※)ナム・ジュン・パイクと坂本龍一が同じようなことをもう20年以上も前にやっていたように思うのだけれど、どうだろうか。