井上道義のメシアン「トゥーランガリラ交響曲」 都響 6月定期(上野)

●6/27(月) 東京文化会館
都響定期(6月Aシリーズ)

(指揮)井上道義
(オンド・マルトノ)原田節
(ピアノ)野平一郎

原田節 / 「薄暮、光たゆたふ時」
    -オンド・マルトノとオーケストラのための
メシアン / トゥーランガリラ交響曲

 開演前に井上さんと原田さんによるプレトークがあったそうだけれど、私がホールに着いた時には既に終了していたので聞くことができなかった。けれど、それを逃してもなお、オンド・マルトノの魅力を満喫できた、楽しくすばらしい一夜だった。

 前半の原田さんの自作自演曲はオンド・マルトノを知り尽くした人ならではの興味深い作品。この楽器は電気的な装置を使っているにもかかわらず、生み出される音と音楽は人間的な温かみを持っている。人の声のような一節を作ったかと思うと、いかなる楽器からも聴いたことがないような不思議な音まで生み出すその表現の幅の広さは、この楽器の可能性を示していたと思う。オンド・マルトノはテルミンの発明に遅れること8年、1928年にはじめて作られたものだそうだけれど、古くて新しい不思議な楽器といえるだろう。

 休憩の後のトゥーランガリラは一言で言ってしまえば、何もかもが踊っているような「ダンシング・メシアン」だった。指揮者が踊っていたのは言うまでもなく(これは比喩でもなんでもない、本当に彼は指揮台の上で踊っていたのだから)、この作品が持つリズムや旋律や色彩などの諸要素の「濃密さ」が一層凝縮され、原色に近い形で描かれていたから。人によったら、この作品の官能的な要素や妖しげな香り、宗教的な法悦のようなもの(?)をもっと突き詰めてほしいと思うかもしれない。けれど、この夜のように、泥臭くも元気いっぱいのメシアンは、少なくとも私にはとてもおもしろいものに感じられた。「夏の生き物図鑑」ではないが、生命の息遣いのダイナミックなイメージが素直な形で伝わってきたと思う。自分の思い描くメシアンのこの曲のイメージとは少し違ったけれど、良い公演、忘れがたい一夜だった。