紀州、和歌山城 (2)

(つづき)

 さて、私はさる太守が天下普請によって築いたお城(城址)を物心ついて以来の遊び場としてきた。ご維新直後の大火災で焼失したため建物などは現存していないが、とても巨大なお城で、幼年期の私の生活のほとんどすべてがこのお城の城郭の中と隣接地に収まっていた。私の幼年時代は、桜花香る、青葉揺れる美しきお城の記憶そのものだ。今思い返せば夢か幻のように美しい世界だった。現在住んでいるところについては「緑の多いところ、大きな公園の多いところに住んでいてうらやましい」と人に言われることもあるのだが、太守の城郭を物理的にも心理的にも生活の中心点として育った私には、今の家の近くの巨大公園群よりも、太守の父君と一族の居城たる江戸城のお堀の緑の方がむしろ馴染み深い気がする。紀州徳川家の祖は太守の弟君だから、和歌山城にはいささかの親近感を覚えもした。

 都合のよいことに、この時はお城のすぐ隣に宿泊していたこともあり、どこに行くにしても、まずはお城を見てからと考えていたが、前述のように、朝起きた時には前日の青空は消え失せ、いつ空が荒れてもおかしくない不穏な空模様。加えてとても蒸し暑い。天気がまだもっているうちに、そしてこれ以上暑くならないうちに手早くお城を見て海南に移動したいと考えていたので、朝食をたっぷり食べた後は早々に宿を引き払う。

 一ノ橋を渡って大手門より城内に入る。美しく整備され、清掃の行き届いた城内をふらふらと歩く。お城に来たからといって、あれを見る、これを見るというつもりもなく、漫然と空気を吸うだけでそれなりに満足していたのだが、天守閣への案内板が見えたので、登る道のことをあまり考えもせず、ぜひ行ってみようと思い立つ。

 高い湿度に潤う大気の中で、緑はひときわ色濃く、これはこれで趣があって美しい。このようなお城の土塁や石垣、生い茂る草木の世界には独特の匂いがある。この匂いはお城に特有のもので、お城ではない公園ではなかなか嗅げない(私の中の「犬」がそう感じる)。辺りは霧のような雨に濡れて、強い香りを放つ。自然と歴史が渾然となったものの、その存在の香りだ。

 鬱蒼と樹木が生い茂る、薄暗い中に、唐突に虎の像が現れる。いや「虎」と書いてあるから虎だとわかったが、最初は「大きくていびつな形の狛犬だな」と思った。和歌山城のある場所は虎が伏している形に似ているから虎伏山(とらふすやま)と呼ばれ、お城も虎伏城と呼ばれていた云々。そのことにあやかって作られた像らしい。荒々しい姿だが、守り神のようでもあり、重々しく荘厳な気持ちになる。

(つづく)

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紀州、和歌山城 (1)
紀州、和歌山城 (2)
紀州、和歌山城 (3)
紀州、有間皇子終焉の地 (1)
紀州、有間皇子終焉の地 (2)

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