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2022年10月21日(金)
10日前に開けた箱の中をさらによく確認。文庫と新書が半々という感じ。上の方の、見えていた部分の本は要らないと思えた文庫本だったが、下の方に音楽と芸術に関する本がたくさんあったので事情が変わった。これは処分できない。大量に出てきた心理学の新書はもう要らない。
いつできるかわからないが、「要る本」に仕分けたものは裁断してスキャン、PDF化するのがベターなのかもしれない。と思ったら捨てられなくなった(PDFにしたら捨てるけれども)。簡単にきれいにして収納し直した。「要らない本」は買取サービスに放出することにした。
ネットの評判を見ても、特定の買取業者の評価がバラバラなので、どこに送るのが妥当なのか迷っていた。廃棄した方がいいかもと思った、古い、たいしてきれいでもない本ばかりなので(しかも文庫と新書ばかりだ)、査定額についてのネットでの評判はあまり考慮せずにショップを決定。週末、もう少し本を整理してから梱包することにして、来週はじめに集荷に来てもらえるよう、買取業者のサイトから申し込んでみた。
手元の本が「もしかしたら(割と)高く売れるかも?」という人々(と私)の期待と幻想はどこから来ているのだろう。
自分が古本を買う時は「なるべくきれいで安い本がいい」と探すくせに、売る時は「少し傷んでいたり汚れがあるからといってタダ同然に買い叩くなんて!」と思うのは身勝手だよねえ。
学生の頃、ある授業の教授の雑談。
「古書店の人に本を見てほしいと頼まれて、最近亡くなった老研究者の家に行って本を見てきたが、状態の悪い本ばかりだった。1人暮らしの先生だったが、家の中の至るところに本が積まれていた。浴室の前に積まれていた本はひどくカビて、腐りはじめていた」
当時の私にはとても強烈な話だった。本はたくさん集めればいいというものでもないのだな、管理できないほどの量だと、やがては粗大ゴミになるのだ…と。
強烈な印象を受けたのに、なぜその話が教訓としてその後の人生に活かされなかったのか😩