2008年7月 P. L. エマール リサイタル

7/15(火) 東京オペラシティ コンサートホール
ピエール=ロラン・エマール ピアノ・リサイタル

(演奏曲目)
バッハ / フーガの技法 BWV 1080 から
  コントラプンクトゥス I
  3度音程でも転回可能な10度のカノン

エリオット・カーター : 2つのダイヴァージョン

バッハ / フーガの技法 BWV 1080 から
  5度音程でも転回可能な12度のカノン
  反進行における拡大カノン

メシアン / 「8つの前奏曲」から
  第2曲 悲しい風景の中の恍惚の歌
  第5曲 夢の中の触れ得ない音
  第8曲 風の中の反射光

(休憩)

バッハ / フーガの技法 BWV 1080 から
  10度音程で転回可能のコントラプンクトゥス X
  転回可能のコントラプンクトゥス XII.1
  コントラプンクトゥス XI
  転回可能のコントラプンクトゥス XII.2
  12度音程で転回可能のコントラプンクトゥス IX

ベートーヴェン / ピアノ・ソナタ 第31番 変イ長調 op.110

(アンコール)
カーター / カテネール(日本初演)
メシアン / 「8つの前奏曲」から 鳩
メシアン / 「4つのリズムの練習曲」から 火の島 第1
メシアン / 「4つのリズムの練習曲」から 火の島 第2
カーター / マトリビュート
メシアン / 静かな訴え

 前回のリサイタルではオペラシティ、三鷹ともにアンコールのブーレーズ「ノタシオン」に私は強烈な衝撃を受けたが、今回も「アンコールなのに日本初演」というカーターの「カテネール」の鮮烈な演奏に驚かされた。

 バッハの抜粋と現代曲をサンドイッチして並べた、「考え抜かれた」プログラム。私には粋と遊び心満載の、知的なゲーム感覚さえ感じられ、全体にとても刺激的な一夜だった。会場配布のリーフレットでは野平多美さんがわかりやすくこのプログラムのナゾ解きをしている。キーワードは「ポリフォニー」と「悲しみ」、その「悲しみ」のプログラムを締めくくるのが「嘆きの歌」(と呼ばれる有名なメロディ)に挟まれてフーガが演奏されるベートーヴェンの31番の終楽章…というような分析と解説はこれ自体が刺激的な卓見であり、興味をそそられた。リーフレット掲載のエマールのメッセージによれば、このプログラムはこの東京でのリサイタルのためだけに考えられたものとのこと。このように粋で洗練されたプログラムの聴衆として選ばれたことは私たちにとっては名誉なことだし、このリサイタルを聴くことができた人たちは(自分も含めて)幸せだと思う。

 バッハの間に現代の作品であるカーター(今年の12月に100歳を迎えるアメリカの作曲家)とメシアン(今年が生誕100年)をはさみ、さらに再びバッハ、そしてベートーヴェンへ…というエマールが構想したプログラムは、一晩のリサイタルの流れの中で「バッハからカーターまで」という約300年にわたる音楽史の時間の流れを大ざっぱに見せるものだった。約300年という長い時間軸の上で展開された彼らの創作の中には共通する音楽の構想の芯があること、それは時には宗教的崇高さをもって、時には現代的な混沌と難解さをもって、というように、手を変え品を変え何度も何度も登場するが、結局は1つのもの(ポリフォニー)である、という事例を示してくれたように思う。このプログラムはバッハのフーガにはじまり、ベートーヴェンのソナタのフーガで閉じられたが、このイメージの中では、バッハとベートーヴェンは連綿とつながっていることが示されたと思うし、しかも、ベートーヴェンのこのソナタは(バッハも、だが)現代性と革新的な要素を含んでいる、とも感じられ、このあたりがことにおもしろかった。また、カーターの音の「点」と「点」の関係性が実はバッハの多声音楽と同じことをやろうとしているのだと感じられ、「バッハとカーター(現代)は遠いようでいて実は近いのだな」と思わされた。エマールお得意のメシアンも非常に美しくそして刺激的な演奏。高音部分などは天から降ってくるかのような、はかなくも清純な光をまとった響きで感銘を受けた。

 予定されていたプログラムだけでも大演奏会、しかも最後はベートーヴェンの偉大なる31番。ここで終わって余韻をかみしめつつ帰途についてもそれはそれで大満足だったと思うが、その後にアンコールで演奏されたカーターとメシアンがこれまたすばらしかった。アンコール1曲目に演奏されたカーターの「カテネール」は「日本初演」と日本語でエマールから説明があった。彼の手がよく見える位置に座っていたのだけれど、なんと、驚くことなかれ、手が見えているのに見えなかった。比喩ではない。言葉通り、手の動きが見えなかった。エマールの打鍵があまりにも速すぎて…。これって「サイボーグ009」の「加速装置」みたい…とかと、ただぼうぜん、あっけに取られているうちに演奏が終わってしまった…。また、アンコール演奏の際にはカーターの「マトリビュート」までは演奏前にエマールが客席に向かって日本語でタイトルを言ってから演奏されたのだけれど、最後のメシアンは「日本語でなんというかわかりません」というような説明の後で演奏されたので、これはご本人も予定外のアンコールだったのかなあとも思った。アンコールであんなにたくさん弾いていただいたのは本当に幸せなこと。客席の盛り上がり方もハンパではなく、最後はスタンディングオベーション。クールで知的なプログラム、ホットな演奏、感度の高い聴衆。すばらしいリサイタルだった。

 開演直前に初台に着き、終演後は(サイン会を開催するとアナウンスがあったけれど)たまたま会場で会った知人と話をしながら、あっと言う間にホールの外へ出てそのまま電車に乗って帰ってしまったので今回は写真なし。