四天王寺から神戸に至る (7) - 異人館をめぐる

 さて、四天王寺を後にして一路、神戸へと向かった。神戸での用事のあれこれは省くとして、その翌日の話を(なるべく)手短に書く。

 その日はお昼まで神戸にいられる予定だったが、特にすることもなかった。幸いなことに、前夜の宿が異人館街の近くだったので、足早にはなるだろうが、異人館を見てから帰ろうと思い立った。地図で見ると宿からの距離はさほどのものではない。さっと行って、さくっと見てまわれそうに思えた。だが、実際に出かけてみると思っていた以上に距離があった上、急勾配の上り坂。折悪しく小雨まで降ってきた。歩いているうちに、すっかり飽きてしまった。異人館はもうどうでもよいから、ここで引き返してしまおうと思ったほどだった。随分と歩いた頃になって、ようやく異人館街の案内所にたどり着いた。

 案内所の人たちに、自分はあと二時間くらいで東京に帰らなければならないが、異人館の何をどう見たらいいかさっぱりわからない。おすすめコースがあったら教えてほしいと言った。すると、そこで地図を見せられ、「一時間半あればこの九つの異人館の全部を見てまわれますよ。一時間だったら七つか五つのコースがおすすめです」と言われた。有名な三つの異人館は神戸市が管理しているので無料で見られるが、ほかの異人館は私営で料金がかかるとのこと(註)。いくら払ったら何と何が見られるか、チケット売りのおばさんが地図にシルシをつけながら教えてくれた。料金や選択したコースによって見られる異人館が変わってくるようだった。一つか二つをゆっくり見て帰ろうと思っていたが、おばさんの口上がうまくて、あやうく九館全部のチケットを買いそうになった。

 見て歩くのは一時間程度のつもりだったし、あまり駆け足で見てもおもしろくないからと、欲張らずに五つの異人館が見られる共通チケットを買った。しかし、すぐに五つでも数が多すぎたと後悔した。のんびりと見ていたら、はじめの一か所、二か所であっという間に時間が過ぎてしまったからだ。今になってみれば、チケットなどは買わず、無料公開されていた最も有名な異人館だけを見てくればよかったと思う。その時はお金を払った分はしっかり見なければと、五つの有料の異人館をくまなく訪ったがために、無料公開されていたところまでは見られなかった。

 最初に英国館と洋館長屋(フランス館)を見て、それから少し離れたところにある旧中国領事館までまわり、最後に「うろこの家」とその美術館を見た。異人館が点在している斜面はいずれも急で、移動は思いのほかしんどかった。当時、あんな急な山の斜面に住んでいた人達はどうやって生活していたのだろうか。今でも地元の人たちが暮らしている、とても立派な邸宅が点在していたけれど、あんな坂道ばかりのところによく暮らせるものだと感心した。すばらしい見晴らしを得るためなら、多少の不便さは厭わないというような人たちが住むのだろうか。

 まだ午前中だったから、観光客の姿は比較的少なく、のんびり見ることができたのはよかったけれど、私は始終、もやもやした気分を感じていた。四天王寺のように飛鳥時代から続いているお寺とちがって、つい数十年から百年くらい前まで普通に人が住んでいた建物の展示には、少し薄気味の悪いものがあった。特に最初に見た英国館と洋館長屋の、当時の人々の生活を再現しているような場所では、とてもめずらしいしおもしろいとは思ったけれど、その頃の人々の痕跡が妙に生々しく感じられ、ある種の不気味さを感じた。四天王寺の聖徳太子の御衣の断片は千四百年もの時の流れによって清められ、もはや誰かが使ったものという気配さえ消滅していた。だが、異人館に展示されていた机や椅子、ベットやソファ、鞄や衣類などには、それらを日々愛用していた人々の体温や息遣い、体臭までもがまだ残っているようだった。存在感のリアルな残滓。彼らはまだそこにいる。だから異人館での見学は、昼間でも消えない亡霊の姿をあちこちで見ているような気になって、とても気分の落ち着かないものだった。私にはこのような新しい遺物は性に合わない、見るならやはり古墳か遺跡だと思った。

 さて、神戸での話はこれで終わりだ。この三籟日記に昨秋の神戸行きの話を書こうと思ったのは、四天王寺の「極楽浄土の庭」のことを書いておこうと思ったからだった。「四天王寺から神戸に至る」と題してはいるものの、神戸の話は余談にとどめた。神戸行きこそが実はこの小旅行の目的だったのだが、そのことはいずれ違った形で書くこともあるだろう。

(おわり)

(註) 今調べたら、昨年と事情が少し変わっていた。どうも「風見鶏の館」は有料になったようだ。また、やや古いが、「共通チケット」についての、たいへん興味深い記事が「風見鶏」の第6号に掲載されていた。(「風見鶏」 第6号斜説~観光復興の足を引っ張る「異人館ビジネス」 1998年3月1日) これから神戸に出かける人は目を通しておくとよいかもしれない。私はこれを読んで「ああ、しまった…。(去年)神戸に行く前にこれを読んでおきたかった」と今しきりに思っているところ。 → back

 
●写真の説明


英国館のネウマ譜

英国館の二階にネウマ譜が展示されていた。


旧中国領事館 一階

モダンさに驚いた調度品。現代のニューヨークの富豪の邸宅の内部といわれたら納得してしまいそうな洗練された美の感性がある。この旧中国領事館は庭や建物の意匠も調度品も、何もかもが洗練されていた。東洋の色合いをバタくさくしたものでもなかったし、中華風が過度に強調されたものでもなかった。


旧中国領事館 階段踊場


階段踊場のレリーフ(拡大)

これも驚いたものの一つ。まるでキリスト教の教会の中の祭壇のようではないか。遠くから見た時の禁欲的な美しさには驚かされたが、レリーフの意匠そのものも大胆でおもしろい。


旧中国領事館

これも展示品。現在は使われていないものだと思う。床と壁面は大理石だろうか。この旧中国領事館の全体を貫いている、美意識の鋭さを感じる。(美に対しての手抜きがない。)

index

四天王寺から神戸に至る (1)
四天王寺から神戸に至る (2)- 転法輪
四天王寺から神戸に至る (3) - 仁王像
四天王寺から神戸に至る (4) - 石棺の蓋
石棺の蓋 : 補足
四天王寺から神戸に至る (5) - 太子の御衣
四天王寺から神戸に至る (6) - 極楽浄土の庭
四天王寺から神戸に至る (7) - 異人館をめぐる

→ このほかの遊山記事