「その四」を書いてから、あっという間に五か月もの時が過ぎてしまった。五か月前に書いていたのは昨秋の出来事だから、これから書くことは一年ほど前の話ということになる。石棺の蓋の話をしたところで途切れてしまった。四天王寺の話を最後までしていない。そもそも、この時、四天王寺に出かけたのは宝物館で開催されていた「聖徳太子十七條憲法制定1400年記念展」を見るためだった。
さて、その記念展が催されていた宝物館の1階の入口で靴を脱いであがり、受付のところで切符を買うと、簡単な説明書きを渡された。その際、荷物は邪魔だろうし、盗る人もいないだろうから、ここで預かりましょうと係りの女性が申し出てくれ、その言葉に甘えて荷物を預けた。一階には常設の展示品が置かれていた。どす黒く変色した舞楽用の大太鼓。あまりの巨大な姿にしばし呆然。天井があれば突き抜けていたほど。吹き抜けになっているので、収まっている。(というより、まさにその大太鼓を格納するために、わざわざ吹き抜けの形に設計にしたとしか思えない。) 色が落ちて黒く変色しているのも道理で、かなりの時代もの。(年代は忘れてしまったけれど、信長が寄進云々と書いてあったような記憶がある。)
二階に上がると、そこにも古くからの雅楽や舞楽関連のもの(装束など)が展示されていた。その奥まったところで十七條憲法に関連した展示を見ることができた。そもそも宝物館の中はあまり広くない。十七條憲法関連の文物にしても、とてもこじんまりと展示されていた。東京の、たとえば国立博物館の法隆寺展などと比べれば、あまりにも小さな展示形式なので驚いてしまうほどだ。けれど、展示されているものは重文、重文級のものばかりだった。(国宝も一つか二つくらいはあったかもしれない)
聖徳太子の御衣(おんぞ)といわれるものの微細な断片も展示されていた(唐花文袍残闕、重文、飛鳥時代)。確かに太子がお召しになったものであれば、およそ千四百年前のものということになる。以前、上野の法隆寺展で、ほとんど退色していない飛鳥時代の布(善光寺如来御書箱をくるんだ蜀江錦。千四百年の間、別の布や箱で覆われていたため、退色を免れたもの)の実物を見た時には非常に驚いたし感動したが、あれに近い感動があった。とはいえ、こちらのものは、もはや断片とさえも呼べないほど破損が大きかったから、色や図柄に驚くとか感動したということではない。千四百年前のものといわれるものが伝わっている、しかもそれは太子の御衣として大事に大事に伝えられている、その点に感銘を受けたのだった。
十七條憲法関連の展示もおもしろかった。各時代の十七條憲法の写しが展示されていたが、古いものは数百年の時を経て伝わってきたもの、新しいものは数年前に写されたもの。質実な筆ぶりのもの、註や訓の書き込みのあるもの、壮大な絵巻物、いちばん新しいものは紙も墨も吟味され、美術的な味わいをもって書かれた書の芸術品。あまたの書の名人たちが、精魂こめて筆写している。まるで写経のようではないか。しかし、十七條憲法は経典ではない。そこに展示されたものは、過去に筆写されたものの氷山の一角、現実にはおびただしい数の写しが作られたことだろう。それらはもちろん実用的な意味で(=コピー機やプリンターのない時代に、手元に置いておきたいからと)筆写されたこともあるだろうけれど、そこに書かれている精神に敬意を払い、なおかつ、それを自らの血肉とするために写されたものもあるのではないかと思えた(つまりは「写経」のようなものと、精神的にはどこか共通しているのだと思う)。まあ、写しを作った人たちの真意がどこにあったか、本当のところはわからないけれど、その展示において、たった一つの文章だけが時を経て、異なる筆によって繰り返し写されていった様を一望できたのは興味深い体験だった。
(つづく)
■関連情報
・聖徳太子 (Wikipedia)
・十七条憲法 (Wikipedia)
index
・ 四天王寺から神戸に至る (1)
・ 四天王寺から神戸に至る (2)- 転法輪
・ 四天王寺から神戸に至る (3) - 仁王像
・ 四天王寺から神戸に至る (4) - 石棺の蓋
・ 石棺の蓋 : 補足
・ 四天王寺から神戸に至る (5) - 太子の御衣
・ 四天王寺から神戸に至る (6) - 極楽浄土の庭
・ 四天王寺から神戸に至る (7) - 異人館をめぐる