四天王寺から神戸に至る (6) - 極楽浄土の庭

 宝物館を一通り見終わった後、次の目的地まではまだ時間があったし、ホームページや案内板などで気になっていたこともあり、「極楽浄土の庭」を見ることにした。(実はこの庭のことが書きたくて、この日記に四天王寺に出かけた話を書きはじめたのだ。)

 「極楽浄土の庭」は四天王寺の本坊庭園の別名だ。以下は四天王寺から帰ってきた直後に友人宛に書いた数通のメールをメモがわりにしたもの。従って、以下の部分の本筋は一年前に書いたものだ。


 朝、東京を出る直前にホームページをざっと見た時には「極楽浄土の庭」という文字ばかりが意識に焼きつき、境内でもその名前を探したが見当たらない。案内板にある本坊庭園というのがそれだろうと見当をつけて、そばまで行ってみた。しかし、庭らしいものの気配さえ感じられない。庭園の切符を売っている案内所は見つかった。小屋と呼んでよいような小さな木造の建物で、小窓からお金や切符をやりとりするのだが、売り子の顔は見えない。女性ということは声からわかるが、年はわからない。三十代か四十代くらいだろうか。その顔の見えない人から切符を買う。見えない顔の人が小窓からすっと手をさしのべて、遠くに見えるお堂を指して言った。

「あそこに見えるお堂に突き当たったら、そこを右に曲がって、小さい入口からお入りください」

 「お堂」とは五智光院のことだ。言われた通りに、お堂までまっすぐ歩いていった。玉砂利が敷き詰められた清浄な敷地で、日々、丁寧に掃き清められている場所のように感じられた。(実際、そうなのだろう) 徳川家代々の位牌を納めている場所だそうだから、昔から特別なお堂だったのだろう。売り子に教えられた通り、お堂のすぐ近くまで行ってみたが、「本当にこんなところに庭園があるのだろうか」と段々心配になってくるほど、庭の「気配」が感じられない。後日、四天王寺で舞楽を舞うお坊さんが実家の法事を執り行う人だという「高僧」に、この庭園に出かけた話をしたところ、「四天王寺には子供の頃から何度も行っているし、今も大阪に帰ればたまに出かけるが、そんな庭園があるとはまったく知らなかったし、気がつかなかった」と言われた。それもうべなるかな、庭園は湯屋方丈という大きな建物の中に隠されている形だった。客殿という大きくて古い建物と五智光院の大きなお堂を結ぶ、とても趣のある渡り廊下の下に小さな入口があった。そこまで行って、入口から中をのぞいて見ないことには、奥に庭園があることには気がつかない。外からは全く見えないのだ。この庭園は東の門のすぐそばにあり、塀の向こうはもう普通の人家だった。


五智光院の門

 四天王寺の案内図には「本坊庭園」とあったが、案内所で渡されたパンフレットには「極楽浄土の庭」とあり、その呼称のいわれについて説明されていた。曰く、この庭園は中国の僧侶・善導が説いた「二河白道(にがびゃくどう)」の喩話をもとにしたものとのこと。二河とは「水の河」(人生の順境にある時の貪)と「火の河」(人生の逆境にある時の瞋)のことであり、生き地獄である。この二河(生き地獄)に挟まれた「白道」は極楽浄土への道(=仏法)である。二河(生き地獄)の真ん中を極楽浄土への道が細く続いているが、これは凡俗な我々には見えない。極楽浄土への往生を心から願う者には見えるから、そういう人だけが「白道」を進んで極楽浄土に赴くことができる云々。

 庭園はこの喩話を上手に形にしたもので、そのことがおもしろく感じられた。入口を入ったところには本当に二つの小川に挟まれた白い砂利道があった。その入口のすぐ近くには小さな滝があって「釈迦の滝」という名づけられていた。その少し上のところに釈迦三尊をイメージした「釈迦三尊石」が配置されていた。庭園に入った人は、まず、この「釈迦三尊石」に迎えられる。釈迦三尊からの励ましを背に受け、極楽浄土への「白道」を進むことになる、というのがこの庭園のコンセプトだそうだ。生き地獄に見立てられた二つの小川の間の「白道」を歩いていくと、しまいには蓮の花が咲く「極楽の池」にたどり着く。池の中央には阿弥陀三尊に見立てられた石が置かれていた。だから、蓮の花の季節に行ったら、極楽浄土をさらにイメージに焼き付けることができただろうにと思った。残念ながら私が出かけたのは秋も中途半端な時期で、花も緑も、紅葉さえもが見るべき時ではなかった。池の蓮の花も枯れて、種のみになっていた。けれど、中途半端な姿に秋枯れしていた風景の中で見渡しても趣のある庭だった。そこでしばらく、池のおもていっぱいに蓮の花が咲き乱れている様子を思い描いて楽しんでみた。


庭園の真ん中を通る「白道」

 この庭園には小さな庵がいくつか建っていた。それらは由緒はあっても古いものではなく、比較的新しいもののようだった。松下幸之助翁の寄進によるものだとか、一九〇三年の内国勧業博覧会の時のパビリオンとか。この時の勧業博覧会のパビリオンとしては現存する唯一のものとのこと。庭園になじんだ風合いの、木造の小さな八角堂だった。ルネッサンス風の建築とのこと。すばらしい風合いの色硝子がはまっていた。手作りのものだろうか。残念ながら中に入ることはできなかったが、その色硝子のはまっている窓から中をのぞくと、薄暗い内部がかすかに見えた。

 庵のうちの二つでは休憩して、抹茶を飲んだりお菓子を食べたりできるようだった。値段も高くない。時間がないから中には入らなかったけれど、外から見ても風情のあった青龍亭という茶室、人の気配がないので、そばによって、窓から中をのぞいてみたら、奥から和服を着た女性が、すーっと姿を現した。しかし、私の姿を遠くから一瞥して、「どうもお客さんじゃないみたい」と見極めたのか、すぐにまた、すーっと奥に引っ込んだのが妙に不思議でおかしかった。ほんの一瞬のことだったが、現実感の伴わない出来事だったから。季節のよい時分の、人がいない頃合に、あそこでのんびりとお茶を飲んだらさぞかしいい気分だろう。

 天気はややかげり、はや夕方となった。広大な庭園の中には私以外には誰もいなかった。物悲しいような、さみしい感じがして、シューベルトの短調の曲の世界のようだった。観覧者は、私が入った時に一人出て、私が帰る時に一人入って来たから、極楽への道は一人で歩むものという庭園からのメッセージのようにも感じられ、そのこともおもしろかった。


勧業博覧会のパビリオン


色硝子をすかして内部をのぞくと…


 この日は四天王寺の帰りに、すぐそばの茶臼山古墳もついでに見ようと思っていたが、残念ながら時間が足らず果たせなかった。かわりに、天王寺駅の地下街の中にある、クラゲが泳ぐ水槽がある軽食店(?)の写真を撮ってきた。(クラゲに生まれ変わりたいと思うことがたまにある…)

 大阪の友人知人にはいつも「大阪に遊びにおいで」と言われる。そう言われるたびに、「見たい遺跡や古墳がたくさんある」とこちらも言うのだけれど、そう言っておいて、出かける時は大急ぎで行って大急ぎで帰ってくる。ろくにものを見ることもなく帰ってくるのが残念だ。この時のように、早めに出かけて寄り道をするのもよいなと思った。だから、「次に大阪(もしくは神戸)に行ったら古墳を見てくる」という目標を設定してみたい。(果たせるかどうかは別として。)

(つづく)



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四天王寺から神戸に至る (1)
四天王寺から神戸に至る (2)- 転法輪
四天王寺から神戸に至る (3) - 仁王像
四天王寺から神戸に至る (4) - 石棺の蓋
石棺の蓋 : 補足
四天王寺から神戸に至る (5) - 太子の御衣
四天王寺から神戸に至る (6) - 極楽浄土の庭
四天王寺から神戸に至る (7) - 異人館をめぐる

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