五色塚古墳に登る (4)

(つづき)

(以下は当時、東京に帰った直後、友人にあてて書いたメールなどをもとにまとめたもの。)

 晴れて幾分蒸し暑かった天気が次第に怪しくなってくる。それでも景色をゆっくり眺める時間はまだありそうだった。古墳の葺石のないところは青々とした草に覆われていて、それがとても甘い匂いを放っていた。事前に見ていた葺石の写真からは「宇宙人の基地のようだな」という、とても非現実的な構造物というイメージを抱いていた。しかし、その場に立ってみると、そこは日に当たった草の芳しい香りが立ち込める場所だった。帰りたくても帰れない子供の頃の遊び場に突然舞い戻ったかのような錯覚に陥った。周囲はすぐ近くまで民家やマンションが建ち並んでいる。あんなところに自分の家があったら、どんな感じなのだろうと想像する。毎日、壮大な景色を眺められるのは愉快だろうなとも思うが、案外と古墳も淡路島も日常的なものになって、どうということのないものになってしまうのかもしれない。

 写真で見ていた時は葺石の一つ一つは大きくて立派なものだと想像していた。しかし、そばで見てみると小さいのもたくさんあって、積み上げられる前に整形さえされたかどうか…と思うほど素朴な石が積まれていた。四~五世紀頃のお墓なのだから、そんなものかなとも思う。墳丘だけではなく、石室も復元されて中が見られるような形(?)になっていたらもっとよかったと思った。ついでに、古代の祭祀の様子とかも復元してほしい(人形とかで…)と思ったが、そういうところは頭の中で補った。

 古墳の真下のところ、海岸に沿って、古墳をえぐりながら鉄道が二つ走っていて(JRと山陽電鉄)、人家と森が一体となったような奇妙な塊の中を電車が頻繁に走っていた。鉄道を敷く時に古墳の端を壊してしまったそうで、そこの部分は復元できなかったそうだ(実に惜しい)。その鉄道から古墳のある高台までの斜面に人家が密集していた。いつごろからあんな風に古墳に密接した部分に人が住み着くようになったのだろう。建っている家も古風な造りで街並みにも味があった。斜面で坂道ばかり、その間を細い道がうねりながら続いていた。車が入りにくい場所ということもあるのだろうが、辺りはとても静かだった。

 急に古墳の下の方が賑やかになった。小学生くらいの子供たちが古墳の裾野に大勢集まっていた。子供会かサークルか、何の集まりだろう。数人の大人が引率していた。子供たちは古墳には登らず、裾野部分に広がって何かをやっていた。ドライブがてら寄ったという風情の親子連れやカップル、前方部分の先端に座って、明石海峡を見下ろしながら一人でぼーっとタバコを吸っているおじさん。私がいた間だけでも二十人くらいの人が古墳の上に登ってきたのではないかと思う。

 古墳とは古代のお墓だ。お墓を見て、お墓の上に私は登ったわけだが、そこは想像以上に巨大で美しい場所だった。何といっても上からの眺めがすばらしい。海を見下ろし、淡路島を見晴るかしながら、「ああ、これは『見ることの魂振り』だ」と思った。(*1

(つづく)

注1★…「魂振り(たまふり)」とは「魂に活力を与え再生させる呪術。また、その呪術を行うこと」(スーパー大辞林 WEB版)

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五色塚古墳に登る (1)
五色塚古墳に登る (2)
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